写真と動画への交錯

過去の写真を見返してみました。

動画を撮るようになってから、ある種の違和感が。それがなになのかは今の所、分からず。写真と比べてみることにしたのですが、今はまだ自分でも答えがでていません。

これまで写真について学校で勉強をしたことがありません。ほぼ本能のみ、感覚のみで撮っています。これは、写真家の方にも写真を始めた頃に言われた言葉があり、ずっと気になっていました。(長くなるので省略)。

写真に関しては身体が勝手に動く。手が動く。そんな感覚で撮っています。シャッタースピードなども考えて撮ることは皆無です。滝や星を撮る時も、その場でボタンをすこし動かすくらい。たとえば、こんな気持ちはどうだろう?伝えたいこと云々、(話すと長くなる写真談義なので省略します。)そんな感じで写真を撮る前にノートを埋めていきます。そして撮るその当日、瞬間はそんなことも忘れて撮るのが常。

では、動画はどうでしょうか。先日は、絵コンテを元に歩いたところ、なにひとついい画は撮れていませんでした。うむ、これは努力がたりぬのか?うむ???そんな感じで考えておりましたが答えは出ぬまま。2日を過ごしてしまいました。

写真ってなんだろう。動画ってなんだろう。そんな感覚で、明日は何も予定をせずに、写真のように動画を撮ってみようとおもいます。

わたしは、フォーサーズはあまり好きではないのかな。安定していて好きなのかな。

16:9 はどうだろうか

2.35:1 はどうだろうか

6:6 はすこし単調でたいくつになる

いろいろと考えて、ファインダーを覗くときは、無になる。それがわたしのスタイルで、明日は好きなままそのままで撮ることにします。

翌日

好きなように撮影に臨んだ所、好きなものが撮れて、ひとつクリアしました ^ ^ すこしばかりの感動。またひとつ前に進むことができます。

写真と動画への交錯” への2件のフィードバック

  1. 知識より意識の問題なんだろうな、と思います。

    車の運転も、最初は教習所で基本的な知識や技術を教わりますが、ほんの1ヶ月ほどで卒業できてしまうので、免許が取れても教わったことが定着したわけではありません。
    それでも、皆が同じスタートラインに立つことは確かなんですが、問題はそこからなんですよね。
    ちゃんと意識して運転している人は、自分自身の経験を積み上げて成長していきますが、意識しない人は、運転すればするほど自分勝手になって迷惑運転をするようになります。
    良くも悪くも、慣れてくると考えるよりも先に体が勝手に反応するんですよね。
    ある意味、その人の本性が暴かれてしまう…。

    かふあさんの「好き」というのは、この「意識」と似てるな、と感じました。
    ちゃんと好きなものを持ってるということは、何にも代えがたい強みだと思います。
    かふあスタイルでどんどん突き進んじゃってください!(^o^)/

    1. なるほど。

      私は、「好き」や、「楽しい」という単純な言葉を多用するのですが、
      その内容というか、背景というか、なんとなくそんなものなのかな?

      こればかりは、自分でも気がついていないのか、なんというか、言われてそうなのかしら?

      そんな感じです。

      とにもかくにも、強みであるなら、うれしいかぎりです。

      たまにいいのかしら?と後ろを振り返ることがありますが、もう十分大人なので、次世代を育てながら
      豊かな関係や時間を紡いて、突き進みます。

      結局、突き進むのですよね ^ ^ w

      いつも、じっくり読んでくださってありがとうございます。

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