これまでの時間がどのように自分に反映しているのか
そして、それをどのように未来へ恩返しができるのか
仕事場で、多くの子ども達から年配の方々まで、様々な方に出会ってきました。自分の仕事を始めて20年弱。ずっと同じ職場で入れ替わり立ち代り、長くいる人が多くいますが、世代は問わず、短い人も含め、教育という現場で、学校やおうちで体験できないない空間を作り、様々な学びのある場所になっていることを嬉しく思っています。
現在の傾向は、優秀な生徒が多いことです。あまり問題児がいないということ。仕事を始めた頃、1998年頃でしょうか。あの当時は、心によりどころを求めていた生徒が居たように思います。優れている、勉強ができる、恵まれいる故の悩みを持った少年に出会いました。小学生にそんな悩みがあるのかと、当時大学を出て数年経ったわたしの心の中には、真正面から受け止めるということで、こどもたちと向かい合うことになります。
学びの場所ではあるが、塾ではない。成績だけが評価されない、いろんな側面を評価してくれる、遊べる場所。それがわたしのスクールだったのかもしれません。こどもたちにとっても、大人の方にとっても。そうであると嬉しいです。
ストレスを抱えたこどもたちにどう向き合うかなんてことは、わたしの中に計算としてはなく、まっこう向かいあうことだけ。逃げれば、追いかける。それでも逃げるならば、そっとしておこう。すると、またこちらを見ている。それに反応する。ほんとうに動物的なような気がします。そして、その子どもたちが大人になっても会いに来てくれる。偶然の再会もあります。そして、当時を笑って振り返る。幼稚園の時に先生の家にはエッチなものがあったwww ええええええ?なにそれ?そんなものないし!!!幼稚園児が思うエッチなものってなに???面白い!そうかと思えば、あの時はこうゆう風に感じていたよ。とか。先生が少年を追いかけている間、僕たち、ぽかーーんって感じだった。置いて行かれた数人の感覚だとか。なるほど、そうだよね放置されたこたちの所在のなさw
ほんとうに色んなことを体験し、いま、自分の立ち位置を遠くからみつめてみると、もうがむしゃらに自分のことに一生懸命になったり、守りにはいったりする時ではないのだなあと感じます。色んなひとたちを育てる中で、培ったことを、世の中のためにも使っていきたいし、色んな方に助けられ、支えてもらって、未だに色んな方々が応援してくださることへの感謝。わたしがすべきことはなんだろうか?ゆっくり静かに考える時間が幸いなことに、1日のうちにもたっぷりとありますので、常に自分に問うています。未来への恩返しについて。
先生の授業はカウンセリングみたいだと、ある生徒が伝えてきました。たしかに、わたしのスクールは何かと色んなことを探り、机の上、本の中だけでは終始しません。そして、問題があるならばスルーはしないことも多々あります。そして、多くの方たちが、またその翌週も笑顔で現れます。喧嘩をすることだってあります。悪いことをしたら本気で怒ることもあります。いいことばかりではもちろんありません。そして、それを乗り越えてみんなの友情が育ったり、経験値が上がったり、信頼関係になったりしています。
かつてメリケン波止場だった現在のメリケンパーク♡だいすきな場所
その中で、自然と身に付けたものが、ひとの才能を引き出す。まだその人も知らないことを見つけ出す。そんなことに出会ったのように思います。または、やりたいこと、楽しいこと、そんなことを本人も気づいているけれど、実行できていなことや、日常の忙しさの中で失いつつあるものを、一緒に学び、時間を共有し、勉強の枠を超え、感じえてくれているいい生徒たちに恵まれ、より成長を引き出すように、私が勝手に伸ばしたスキルが、大きいものではないとは思うのですが、少なからず、スクールでは根付いているように思います。
いじめはある?という問いに、学校ではないことはないけど、・・・・だとか、男の子同士のヒエラルキー的立ち位置争奪戦を話してくれるこどもたち、女のこの世界の軽い感じのリーダー争奪戦もしかり。こどもの世界も大人の世界も、最後は同じところ。そして、本当に大切なものはどんなものなのかを、色んな話をする中で、数年にわたってなんとなく体で感じ、心で感じて、卒業していき、また会いに来てくれる。・・・・・なんていい仕事なんだろうって、感じずにはいられません。
何も考えずに綴りましたが、まともに書けているだろうか。。。
ここだけには到底書ききれるものではございませんが、何かと愉快な職場で、happyです ^ ^
ころんとした透明セリーはいつもきもちがいい
そして、家族、友人、みんなとこんな話をする機会もあまりあることではありませんが、たまにこんな話に花を咲かせ、ああ、わかってくれる人がいるって、成長したかな、わたしたち ^ ^ なんて思う瞬間も楽しい時間であります。
無理やりに、何かを求めたりすることは、あまり得策でもありません。おしつけても、何も開花しないことを知っています。だから、そんな時は身を引くことも重要なのではないかな。そしてそれ以上に、自分の力を必要としてくれる人たちのために使って欲しいと感じます。
そんなふうに、おもった土曜日の夜でした。
蛍を見に行った時に気になった木
学びはいつまでも続きます。して、これまでに身につけたものは、出会った方々から学んだものです。本を読んだら?と言われると、そうだね、読んでみると単純な性格なので膨大な情報量を処理してみたりw、ぜんぜん言うことを聞かない性格だと思うのですが、みょうに聞き分けのいいところもあったり、自分でも笑っちゃいますが、人生楽しいです。周りの人がいい人たちでほんとよかった。
撮影:ゆすぴい(ありがとう。)
なんだかんだととてもやることの多い日常です。けして忙しくはありませんが、やることはいくらでもあるというのが現状です。写真しかり。写真をしていると、きっと死ぬまでやっても足りないことでしょう。静かな時間もおなじくいつも自分のそばにあり、快適です。さ、これからもまだいろいろと頑張ります。みなさまにとって、わたしとの接点が、よきものでありますように祈っております。
未来への恩返しは、これからも考えて、やっていこうとおもいます。7世代先まで思考にいれて。
LOVE, KAHUA
Pay it foward な、お話。
次の世界へ、つぎの世代へ、7世代まで。ですです。
この記事を読んで、なんだか凄く嬉しかったです。
どうもありがとうございます!
かふあさんの職場は、苦労も多かったとは思いますが、
良い環境へと育っていって、本当に良かったですね。
やっぱり、かふあさんの人柄が、善い人を惹きつけるのでしょうね。
うちの職場のように、野良人間が集まるようなところでは、
ビシビシしつけていかないと、どうにもならない部分もありますが、
かふあさんの「自分の力を必要としてくれる人たちのために使って欲しい」
という言葉は、ちょうどうちのブログで頂いたコメントと被る部分があって、
そろそろ自分の人生を、もう一度歩み直してみようかな、と思うようなりました。
今なら、前とは違った形で、物語が作れそうな気がするんですよね。
それが、かふあさんへの恩返しになるかな。なるといいなぁ。
ゆっくりと、ていねいに、育てていってみますね。
本当に、どうもありがとう。
ありがとうございます。わたしも、素敵な日々を丁寧にとおもいます。
K=HYODOさんも、ぜひぜひ、ていねいに静かな時間を楽しんでください。
意心地のいい職場になればいいですね ^ ^
前の絵本もかわいかったですけれど、今作るともっと変化があって楽しそうですね。